下書き覗いたら結構書きかけで放置してあるものがいっぱいありますね。その時は勢いで書き始めるんだけど、途中でなんだかな〜と思ったり他のことをやり始めたりして結局書ききらないという・・・。
そんな中から比較的マシそうなものを敗者復活戦してみました(笑)
なんてものがあるのをご存じでしょうか。ちょっと前には「いや、それよりもリチウムイオン電池がないと生きていけない」などとくだらないことを言っていましたが、もはやリチウムイオン電池は下から2番目くらいにあっても不思議ではないですね。
そういえばこんな話を見かけました。
現状における在宅勤務というのは、在宅だからパフォーマンスが出ないわけではなく、現在の地球環境においてもっと低位の欲求である「生き延びること」が満たされないなかでは、その上位欲求である「仕事のパフォーマンス(社会的欲求)」なんてのはどうでもいい、というものです。
日本はかろうじて理性を保ってそこのバランスを取っているように思えますが、それこそ発症した武漢においては工場が全て停止しました。まさにこの「生き延びること」が何よりも重要な欲求なわけです。ま、そりゃそうだよね。死んだら終わりだもん。ゲームみたいに復活できないからさ。
もちろん、家だと仕事に最適化されていないのではかどらないというのもあります。
ところでこの前ふと思ったのですが、なぜ死ぬのが怖いんでしょう?もう復活できないからですか?それともなにかやり残したことでもありますか?まだ死ぬには早すぎるからせめて平均年齢くらいは生きていたいということですか?
って考えてみると、別にそんなたいそうな理由なんてないんじゃないかと思うんですよね。どうせいつかは死ぬわけですし。かくいう僕も何かあるのかって考えてみたものの、できれば自分のこどもが成人したら一緒にお酒を飲みたいかなとは思うものの、それ以上のものがあるというわけでもないのです。年齢的には棺桶に片足突っ込み始めているわけである種の悟りもあるかも知れませんが、実際に死ぬのが怖いと思っているのは死んでしまうことによって人々の記憶からなくなってしまうという承認欲求の一種から来ているんじゃないかと最近思ったりもします。