でも、今度の今度の今度こそ、本当に成果主義になってしまうかも知れませんね。え、今度の今度の今度こそって・・・?若い人たちは知らないのかも知らないですが、成果主義を導入しようと試みたのは何も今回が初めてではないのです。かつて、富士通やNECなどが導入しようとしては失敗してきました。
富士通は盛大に失敗したので覚えているけどNECは自信がないな・・・w
成果主義というのは読んで字のごとく、成果(結果)を問われるものです。そこに費やした時間や労力というのは関係がありません。残業することで頑張っているように見せかける(笑)日本式スタイルが通用しなくなります。
あら困ったわ、僕の唯一のウリが・・・となると、どうなると思います?フツーの人間の心理で考えてみてください。
先程こっそり「富士通は盛大に失敗した」と書きましたが、多くの企業は期初に目標シートみたいなのを書くんですよ。成果(結果)を問われる、という言葉が日本人には達成できればヨシ!と脳内変換されます(笑)
その結果どうなったかというと、社員は期初に書く目標シートに「無難に絶対に達成できる目標」しか書かなくなったのです。フツーの人間心理を考えれば当たり前ですよね。失敗したら評価が下がると脳内変換されているし、そもそも査定する上司もそう勘違いしているような状況では当然のようにそうなります。言うまでもないですが誰も何も挑戦しなくなるので、会社はものすごい勢いで衰退します。
富士通そこそこヤバい時期ありましたね・・・今もヤバそうな匂いがちょっとしますが。
かくして成果主義の導入は失敗したわけです。
懲りずに挑戦するのは変化に対応していく、という点では素晴らしいと思います。僕は極めて個人的には成果主義で全くかまわないと思っていますが、その一方でとても憂慮しています。それは、ほとんどの人間は成果を出し続けるなんてことは不可能だからです。もしかしたら60歳や70歳になっても成果を出せる人はいるかも知れませんが、人類全体から見たらとても少数なのは言うまでもないです。その時、成果主義が蔓延した社会は大多数の成果が出せない人たちを切り捨てるつもりなのでしょうか?50歳をすぎれば脳みそも体力もとても若い人たちにはかないません。そうなってしまったとき、あなたは切り捨てられる覚悟がありますか?
殴ってもいいのは殴られる覚悟があるやつだけだ、とよく言います。自分だけが例外だなんてことはありえないんですよ。
だから僕は年功序列には割と賛成の立場なんですよ。世の中(日本)の秩序を守るために、といったところですかね。