はてなブログがどういうアルゴリズムで僕のFacebookに記事を表示するのかは知らないが、今日はこんなものが表示されていた。
家父長制かぁ・・・ふ〜ん・・・。
ちなみにこの手の話題が好きそうなヤツら(フェミニスト)は一切フォローしていないんだけどTwitterでもよく流れてくるんだよね。まあそれくらいメジャーな話題ってことだと受け止めることにしよう。
ところで家父長制ってなんなんだっけか?と思ってWikipediaさんを呼び出してみたよ。
冒頭の書き出し
男性たる家父長に集中している家族の形態
・・・いや、別によくねぇ?だって、じゃあ誰が重大事項を決定するんだよ。例えば家を購入するとかの決断って普通はそのグループ(ここでは家族)で一番偉い(責任を取れる)人が決断するもんじゃねぇの?
と思ったんですが、次の行
父と子の関係にしばしば見られるような、他者の利益を名目に他者の行動に強制的に干渉しようとする考え方のこと
を読んだらそれはちょっと・・・。というか、なんか一単語のカバーする範囲がものすごく広いな、おい(笑)。まとめてお得なセットみたいになっていないか?
セットで(色々と)割引、みたいなw
僕はてっきり役割分担の意味だと思っていたんですよね。だからそのことを書こうかなーなんて思っていたら全然意味が違いました、無念。
なのでもうここからは脱線ですが、役割分担ってやつは普段意識しているかしていないかはともかく、至るところにあるわけですよ。会社だってお金を扱う経理がいて、製品を考える開発がいて、実際にものを作る製造がいる。
いや、実際はもっといっぱいありますけど割愛w
その集団の規模にもよりますが、大きければ大きいほど細分化されます。いわゆる家族だと殆どの場合(?)二人なので必然的に一人が複数のことを担うことにはなってしまいますね。
世の中にはポリアモリーなんてものもあるんだよ・・・別に知らなくてもいいけどさw
でもやっぱり家父長制ってのは強制かどうかはともかく、少なからず役割分担の意味も含んでいるんじゃないかと思うんだよね。Wikipediaにはそんなことは一言も書いていないですが。それを否定するということはなんでもできる必要があるということになるわけです。
実際、世の中はなんとなくそんな雰囲気になってきていて、稼ぐだけでは話にならない、家事もやれ、子供の世話もしろとなってきています。ぶっちゃけて言うとなんでもできるスーパーマンを要求しているんですよね。
僕は余裕でできるので気にもなりませんけどねw
割と自分で自分の首を絞めている状態になってきているのが手にとるように分かります。だってそんなスーパーマンそんなにいるわけがないじゃん。なんでもできることを当たり前のように求めるようになったら、そればいわゆる優生思想であり、滅びの序章でもあるわけです。
こういうことを思い耽ると、なんだかんだで昔の人は国家(あるいはもう少し小さい単位での集落)としてのサステナビリティを維持するためにうまく考えたものだと感心するわけです。現代人のほうがサステナビリティ的にはバカだよね、とも。
ということもあって僕は昔の人のことわざが大好きなのです。ちゃんと真理を突いているからさ。