交通誘導員って・・・
今週、いつものようにシェアサイクルを借りて京急蒲田駅から会社まで自転車を運転していると、糀谷のあたりに建てている新築マンションの工事現場にちょうどダンプカーがいて、交通誘導員の人に「止まってください」と止められた。
ここまでの文章だと何の変哲もない、日常によくある風景である。ところであなたは先ほどの交通誘導員ってどんな人を思い浮かべましたか?僕の場合、この文章で思い浮かべる交通誘導員は中年のおじさんか初老あたりのおじいさんです。そうですね、いずれの場合であっても男性です。
今週、その工事現場にいた誘導員は女性でした。しかも百歩譲っておばさんならまだしも(実際におばさんが交通誘導員としていたことは少ないけれど見たことがある)、声から察するに20代前半くらいの女性だったと思います。交通誘導員って全身が作業着で覆われているし、現在に至ってはマスクもしているのでほとんど姿を捉えることはできないのですが、声に加えて髪の毛の感じからもおそらく20代前半でほぼ間違いないと思います。
ビックリですよ、だって交通誘導員なんておっさんの代表みたいな仕事じゃないですか!えっ、それは偏見だって?まあ確かに偏見というのも否定できないわけではないですが、そうは言ったところで全ての物事には適材適所ってものがあるわけですよ。イケメンが交通誘導員なんてやっていたらもったいないじゃないですか。だって、その才能を活かせないですから。カフェのウェイターやったほうがはるかにマシです。
マスクしていたからよく分かりませんが多分カワイイ子でしたよ、分からんけどw
格差をなくそうとすると低い方に合わせることになる
こんなのは上記の例以外にも山ほどありますが、平等と叫んだことによって自分達はやらなくてもよかったはずの仕事に回されることになったわけですよね。ええ、もちろんこれは平等のなせる業です。・・・嬉しいですか?
僕は昭和のお茶汲み業務というのがなぜそんなに憎まれるべきことだったのか、未だ分かりません。だって、お茶淹れて、コピーして、その他雑用やってそこそこの給料がもらえるんだったらそれで十分じゃないですか?
えっ?もっと高度な仕事がしたい?高度な仕事をすれば給料がいっぱいもらえるから・・・?誰がそんなことを約束してくれたんですか?少なくとも僕はそんなの知りませんよ。
そして
さっきも書きましたが、本来そうすべきでないものを無理に平等にするのであれば、それは低い方に合わせざるを得ないわけです。というより高い方に合わせるなんてできるわけがないのは自明ですよね。つまり、余計な主張をしたことで本来ならやらなくてもよかった仕事をやるという平等に引きずり下されてしまったわけですよ。
彼女もまた平等主義の被害者だったのでしょうか・・・でも一度そうなったものは二度と元に戻ることはないでしょう。そしていつか人類が絶滅したら、またそこから再構築が始まるのでしょうね。