マッハ新書ならぬマッハブログ(と言う名の落書き)

ただのポエムです。マッハでそれなりの文章を書くのが目的(訓練)なので、よほどのひどい誤字脱字でない限り推敲しません。

なにがどうしてこうなった

自分の書いたブログを読んでいたら

yoshihiro0709.hatenablog.jp

その時には今、自分が関東にいることになるとは思いもよらなかったのですが、その話はまたいつか・・・。

こんなのを見かけたので書いてみようかと思います。

その前に僕は鳥取で何をしていたか、ですが、実は品質保証部にいたのです。と言っても品質保証の仕事というのは比率としてはあまり高くなくて、品質保証をするための装置の開発をしていました。いわゆる検査装置みたいなやつを作っていて、簡単にかつ自動的に品質保証をするための開発を主にしていました。たまに品質保証の検査とかやっていましたけど(笑)

うわさベースで検査装置は広がっていって、ぶっちゃけ鳥取の製造関係の部署で僕の名前を知らない人はほとんどいませんでした。最初は地道に品質保証のためだけに作っていましたがいつの間にかいろんなところで使われるくらいメジャーになっていったわけです。

ところが、それを手がけているのは実質僕一人でして、そんなに色んなところに広まってしまうと僕の手に追えなくなってしまうわけです。実質、鳥取を離れる1年以上前からとても仕事が回っていなくて毎日21時くらいまで残業してもとても無理みたいな状況がずっと続いていました。ある時からはとりあえず確認作業などの手を抜いて、何か問題が起きたら事後で対処する、みたいなやり方になっていきました。だって、そうでもしないととても回らなかったからです。

それでも全然回っていませんでしたが・・・。

そんな時にソニーの子会社への転籍の話が出てきて、僕はそこでこんなことを思ったわけです。よし、この仕事を設計部署の誰かに押し付けて僕はソニー本社籍に移籍できるように動きをかけよう、と。

ちなみにネタバレしておくと、子会社籍から本社籍に移籍できることってのはほとんどないらしいです(笑)

知らないが故の完全空振りですね・・・w

というプラン(?)を立てた僕は、まずは設計部署に仕事を押し付けようと考えます。設計部署は当時海老名オフィスにいました。ちなみにこの海老名オフィスはソニー厚木からの出向者が辞めないようにするために海老名にオフィスを借りた説が非常に濃厚ですが今となってはどうでもいい話なのでどうでもいいですw

ちなみに1フロア1,000万円/月で5フロア借りていたので5,000万円/月だったらしいです。

いきなりこの仕事をお前らがやれよ、っていうわけにはさすがにいかないので、当時の部長と転籍の面談した時にキャパオーバーだという話をします。僕一人では完全にキャパオーバーなので設計の部署の人にも手伝って欲しい、と。この時に具体的に海老名に行きたいと言ったかどうかは実は記憶にないのですが、最終的にソニー本社籍に移籍して本厚木の事業所に潜り込むことを目論んでいたわけなので言ったのかも知れません。

その時の部長の回答を実はあまり覚えていないのですが、そうか、あなたは本来は設計者であって品質保証の人じゃないからね、考えておくよくらいのなんともツレない返事だったような気はします。だって、そのあと自分が海老名に異動になるなんてその時には露ほども思っていなかったわけですから。

そんなこんなで転籍してからも変わらぬ日々が続いていましたが、ソニーモバイルディスプレイからジャパンディスプレイに変わったある日、突然呼び出されるわけです。そして思ってもいなかったことを言われるわけです。それが「2014/2/1から海老名に異動になります」でした。

そんなこと思ってもいなかったのでさすがに漏らしそうになるくらいビックリしました。あれ、あの時半分聞き流していたように見えた部長はちゃんと考えていてくれていたんだ、と。

そんな波瀾万丈の出来事があって、僕は2014年2月1日に横浜市瀬谷区に引っ越しで転入することになったわけです。ちなみに本当にそんなことが起きるなんて思ってもいなかったので、下の子は鳥取の幼稚園に入園する手続きまでしていたくらいです。

ちなみにその一週間後の日曜日に大雪で電力警報が出たのは記憶に新しいですねw

鳥取市では雪は全く降っていませんでした・・・w

しばらくしてジャパンディスプレイでリストラがあって、そのリストラで辞めた人の中に品質保証部の部長の名前があるのを見かけました。それを知ったのはもちろん辞めていなくなった後なので会社内で連絡を取ることはもうできませんでした。お礼を言いたかったのでSNSを探したのですが見つけられませんでした。

鳥取に行っても見かけることはなかったですし・・・どこにいたんだろうw

今はどこで何をしているのでしょうか・・・ソニーの部長だったという肩書きだけでも食っていけそう(笑)ではありますが、もしいつかどこかで会うことがあったらお礼を言いたいなと思っています。