マッハ新書ならぬマッハブログ(と言う名の落書き)

ただのポエムです。マッハでそれなりの文章を書くのが目的(訓練)なので、よほどのひどい誤字脱字でない限り推敲しません。

いや、ちょっと遅くね?

www3.nhk.or.jp

僕はどストライクで氷河期世代なんですよね。

・・・と思っているんだけど、あらためて氷河期世代の定義を調べてみることに。

ja.wikipedia.org

Wikipediaによると、

バブル崩壊後の就職が困難であった時期(1993年から2005年卒と定義されている)を指す語。

そうかー、僕は1996年卒(1年留年しているからね(笑))だからモロにヒットしているなぁ・・・。

思い返せば大学1年生のころ、郵便局の前を通ると「定期預金7%」とかデカデカと貼ってあったものです。7%っていうと、72の法則から言ってほぼ10年で2倍になりますね。10年間続かなかったけど。

zuuonline.com

ところでここまでの引用であまり実感がないように聞こえるのはなぜかと言うと、実は僕はあまりマジメに就職活動をしなかったからなのです。もうあまり覚えていないのですが、毎日のように呆けてパチンコ屋に行くぜ~みたいな調子でいたら、ある時「就職活動ってしてる?」と聞かれたんだったかな。僕はそもそも就職までのあらゆるお世話って大学がやってくれるものだと思っていた(実際、大学の推薦であればそうなのですが)ので、推薦ではない企業に応募するのであれば自分でやらないといけないということを認識していなかったんですよね。アホ大学生ここに極まれりって感じです(笑)

そこで慌てて行きたい企業を調べるわけですが、パチンコ大好きだったのでダイコク電機に応募しようと思ったわけですよ。ところがすでに応募の締切を過ぎていて、その場で電話して謝り倒しながら企業説明会に応募したような記憶があります。このあたりのことは機会があればまたお話することもあるかも知れません。

幸か不幸か、僕は昔からそんな感じで好きなことしかやってこなかったわけですが、それが現代の高度技術化においてなんだか良い方向に振れちゃっていて未だ現役で活躍できているわけですが、こんなのは本当に運が良かったとしか言いようがないです。ちなみにパチンコずっとやっていたのも確率統計の勉強には非常に役に立ちましたよ(笑)

www3.nhk.or.jp

話を最初に戻すと、さすがにこれは遅きに失したんじゃないですかね・・・。何もしてくれないよりははるかにマシかも知れませんが、仮にこのフォローアップでうまくいったとしても今より生活が若干マシになるくらいで失われた時間は二度と戻ってこないわけです。あと10年早くフォローアップしてくれれば子供を作って育てることもできたかも知れないのに、40代でそれをやるには不可能に近いくらいハードルが高いわけで、そんなつもりはなかったのに自分の代で家系消滅とか考えると悔やんでも悔やみきれないでしょう。

というか、公務員の枠なんていったいどれくらいあるのでしょうか?

www.asahi.com

僕ら氷河期世代って団塊ジュニアと言われてるくらい人数が多い世代なんですよね。高校受験も大学受験もものすごく倍率が高くてそこで泣いた人たちも数知れず。それを頑張って乗り越えたら就職できませんでしたっていったい何のためにこの世に産まれたのか分からないぜという人たちは大勢いるわけですよ。まったく最初から今までいいこと一つもありゃしねぇ(笑)

一人でも多くの氷河期世代が救われますように。

やりがいとはなんなのか?

www.jiji.com

何度読んでみても意味が分からないわけですが「仕事へのやりがいを高め」ってどうやってやるつもりなのでしょうか?

そもそも「これはやりがいがある(ない)仕事だ」というのは主観でどう感じ取ったかを示す言葉であって、客観(≒第3者)として「これはやりがいのある仕事だよね」と表現する言葉ではないわけです。だから、第3者がやりがいを整備するとかやりがいを高めるってのは言葉として意味不明なわけです。

ここまで書けばおおよそ察しが付くかも知れませんが、世間一般に言われている「やりがいがある(から給料が安くてもいいよね)」というのは何一つ救えていないわけです。だって、さっきから書いているようにやりがいがあるかないかは主観要素である以上、他人がどれだけこれはやりがいがあると思っても当事者はそう思わない可能性があるからです。

ついでに書くと、やりがいがあるかどうかというのは現在進行系ではありません。だって、先が見えないものにやりがいを感じるなんておそらく変態でしかないですし、やりがいを感じるのは結果(もしくはある一定の区切り)としてフィードバックがあったときだけです。つまり、やりがいがあったという過去形になるのが正しいです。どれだけやりきった感があっても、その結果が報われないものであった場合、当事者はほぼ間違いなくやりがいを感じることはない(感じたと思わない)でしょう。

昨今、若い人たちがどんどん辞めていく理由の一つとしてこの結果として報われないというのが問題になっているそうです。当事者たちはやりがいを感じたいがために一生懸命頑張って働くけれど、会社側からはそれを認めてもらえないからやりがいとして受け取れないわけです。あ、これは日本オワタ、みたいな話ですよね(笑)

言葉遊びなんかしている場合じゃないですよ。ちゃんと結果で報いてやりがいを感じてもらいましょう。

展示会にて思いを馳せる

現在の会社に転職する前、僕はFPGA屋さんでした。

厳密に言うとFPGA設計もやるハードウェア屋さんですかね・・・まあ割となんでもやりますけど

FPGAってのはField Programmable Gate Arrayの略で、要するに中身の論理回路を自分で設計するICなんですね。その中身の設計にはHDLを使うのですが、Verilog HDLに限って言えば非常にC言語っぽいのでなんとなくファームウェアの設計者っぽい感じです。実際にはCPUとも動作が違う(非ノイマン型コンピュータに相当する)ので、ファームウェアとも微妙に違うんですよね。ものすごい多岐に渡っていろんなことを理解していないと扱えない割と高度な部品です。

説明し始めると割とキリがないのでFPGAがなんなのかという話はこのくらいにしておきますが、当時、転職する仕事内容を探すのに非常にFPGA設計にこだわって仕事を探していました。要するに俺がやりたいことはFPGAの設計なんだよ、それ以外のことはやらんというくらい強い意思で探していました。それはなぜかというと、今後FPGAはもっと伸びて今のローエンドCPUなんかはソフトウェアCPU(FPGAのHDLだけで設計されたCPU)が駆逐していくことになるだろうと考えていたからです。せっかく何かの縁でFPGAをやることになったわけだから極めたいと思っていたわけです。

FPGA(CPLDだけど)を触ったきっかけは某三洋電機で丸投げされた仕事だったんですけどねw

ただ、残念ながらその当時そこまでハードウェア情勢を見通している会社なんておおよそ日本にはなかったわけでして・・・つまりFPGA設計の仕事なんてものは日本国内においてはほとんど存在していなかったわけです。そのあたりのことは機会があればまた別に書くことにしましょう(笑)

今日も展示会に行ってきました。Embedded Technology & IoT Technology 2019(だっけ?)とかいうのです。で、思ったわけです。FPGAを使ったプロダクトが至るところにある、と。僕は3年以上前からきっと近いうちにこの状態になるであろうことは予測していたわけですが、当時は仕事がなかったわけです。

きっと今なら至るところで仕事があるんだろうなーとは思うのですが、今更どうでもいいやというのが正直なところではあります(笑)

いや、別に悔しくもないですよ。ただ、あーやっぱりなったよねー、みたいな感じで眺めているだけです。ローエンドCPUはまだ駆逐されていないので、読みとしては若干ハズレ気味の読みではありましたが、FPGAがもっと台頭するという点は間違っていなかったと思います。

全然関係ないですけど、初代リーフ(電気自動車)が発売された時に「おお、スゲー!これからは電気自動車の時代が必ず来る!」と思って買おうかどうかめっちゃ悩んで結局マツダプレマシーにしたんですよね。なぜ止めたかって当時の航続可能距離が満充電で250Kmくらいしかなく、しかも高速道路にはまだ全くEVスタンドがなかったので実家に帰省できなかったからです。(鳥取-岐阜間で350Kmくらい)

今、電気自動車の時代になろうとしていますよね。もうすぐトヨタの優位性もなくなろうとしています。すごい時代の変化にどうやって生き延びていくのか、今の時代を生きるって本当に辛いです(笑)

ちなみに水素自動車の時代は来ないと思います(笑)

で、今何をやっているのかって?そうですね、Bluetoothは絶対にもっと来ますよ!(笑)

嘘を嘘と見抜けな(ry

タイトルのそれは、それはそれはず~っと昔から言われている格言で、要するに

インターネット上には玉石混交で情報が転がっているため、それが本当なのか嘘なのかを見分けることができない人には危険すぎるツールである

ということを揶揄した一文です。検索ツールの性能も上がってきたおかげで、思わぬ形で情報が飛び込んでくることも普通にあります。

※本当に質のよい情報というのはだいたいお金を払わないと入手できません(新聞除くw)

なんでこんな話をしているかというと、先日、知り合いのFacebookにこんなことが書いてあったわけです。

Facebookだけを見て、あなたはとても素晴らしい人生を送っているとか言ってくるやつってアホじゃないのか。見えないところ(=Facebookには公開していない部分)では怒りもするし挫折もする。Facebookは単にいいところだけを切り取って貼り付けただけに過ぎない」(要約)

インスタ映えってやつもおおよそそれに似たところがあるわけですが、酸いも甘いもある人生において、甘い部分だけを切り取って貼り付けているのがSNSなわけです。

先日、僕もインスタグラムにこんな写真をアップしました。

https://www.instagram.com/p/B450nJrHQ6B/

1日の始まりはランニングから。朝日が眩しい#みなとみらい

https://www.instagram.com/p/B48b2lKHgBI/

今日も元気にランニング!#みなとみらい

どう思いました?

これだけを見て連想すると「おお、みなとみらいで朝からランニングなんて優雅でいい生活しているよな」って思うかもしれません。でも、現実の僕(特に最初のやつ)は走り終わってゼーゼーハーハー言いながら、それでもなんとかスマホを取り出して気合を振り絞って写真を撮っていたのです。当たり前ですが、そんなのはこの写真のどこからも全く伝わってこないですよね。それは見る人に伝えようとしていない(=伝わらないようにしている)のだから当たり前です。

別にその裏側をむりやり邪推する必要はないのですが、もう少しSNSとの付き合い方というのを勉強したほうがいい人があまりに多すぎるのではないかな、と思う昨今です。

日本語が読めない・・・?

https://www.facebook.com/groups/hamalove.gurume/permalink/3076659755738219/

こういうの見てて常々思うんだけどさ、投稿者は横浜駅から徒歩圏内で、って書いているのに徒歩圏内のお店を挙げてるのがモアーズの人だけという。
日本人も日本語が読めなくなったのか、題意を読めなくなったのか、それとも今までは教育水準の高い人しかネットにいなかった(アーリーアダプターとして)から最近になって目立つようになったのか、なんなのか分からないけれどとりあえずやはり世の中には様々な人がいるということだけは分かった(笑)

 

※これくらいの駄文だとまさにマッハブログだよな!w

何事にも適量というものは存在する

過ぎたるは猶及ばざるが如し。

昔の人はとてもいいことを言いますよね。僕はこういうの大好きなんですよ。

まあ、割と身近なところだとブラック労働なんてのはその最たるものかもしれませんが、意外とこういうところにもあるんですよね、というのが先程見かけたツイートです。

 こういう特定の集団なんかにも言える話で、これは要するに

ハラールに個別に対応することは現実的には無理なのに現場の努力でなんとかしている」

ということですよね。僕はこういうケースってのは対応しなくてもよいと思っています。だって、あなた、アメリカに行って向こうでクッソまずいラーメンが出てきた時に

「こんなのラーメンじゃないよ、ちゃんとした日本のラーメンを出せ」

って言いますか?言わないですよね。そういうのを郷に入っては郷に従えと言うのです。それは決してマイノリティーを無視しろという意味ではなく、そこまで配慮することができないから申し訳ないけれど今の形で我慢してねということなんですよ。

昨今、どうもマイノリティーの立ち位置を履き違えている人が多くなりすぎてきている気がするんですよね。ある集団において、その集団に負担にならない範囲でマイノリティーを抱えることに対しては誰も文句は言わないし、誰も何も言わないと思います。だけど、そのマイノリティーの存在が負担になるレベルのものであれば、それは負担にならないように母集団に従うか、さもなければ去るしかないでしょう。そこで無理に居座れば、待っているのは全滅です。先程引用したツイートでいうと、負担が続いた結果、給食そのものがなくなってしまったとなるパターンですね。日本人が大好きなやつです(笑)

分かりやすいところでいうと、先日の避難所における浮浪者の扱いなんかがいい例じゃないでしょうか。浮浪者なのでお世辞にもキレイじゃない、じゃあ彼らのための個別のスペースを用意できるかというとそれはできない。だとしたら、申し訳ないが浮浪者には去ってもらうしかないわけですよ。それをなんでもかんでも人権を持ち出して平等に扱わないといけない、というのはさすがにちょっと無理があります。まあ、あなたが勝手に保護するのは勝手ですが僕は負担になるのでイヤですw

このように「自分の負担にならないレベルで留めることを常に選択する」というのは割と重要なことでして、例えば僕の身近な話でいうと、親の介護が必要になったときにどうするかと言われると、僕は「自分の子供と親と両方を面倒見ることはできないので、将来のある子供の方を優先する」となるわけです。もし本当にその時が来たら僕はちゃんとそのように言いますし、僕がそういう考え方であることは母親はなんとなく知っています。

昔からよく言われますが、日本人は一人生き残るくらいなら全滅を選択するという民族らしいです。先程の例でいうと、親も子供も面倒を見て最終的に自分が倒れる(そして子供も路頭に迷う)みたいな感じですかね。そんなの美しくもなんともないので僕は一人でも生き残りますよ、ええ(笑)

大企業なんか見ているとその傾向がよく見えますよね・・・。

 

 

 

 

ああ、大戸屋・・・

www3.nhk.or.jp

へぇ(なんだよその始まりかたはw)

いや、大戸屋って子供が産まれたばかりのころはよく利用していたんですよ。お弁当のテイクアウトで、ですけど。まだ鳥取にいるころのお話です。他ではなかなか食べられない焼き魚などの和食が食べられるので個人的には好きなお店ではあるんですけどね。

だがしかし!

maonline.jp

なんだか知らないところでお家騒動やっていたみたいですね。ああ、これだから家族経営は・・・な~んて、一般の人にはどうでもいいお話ですよね。ちなみに僕にとってもどうでもいいお話です。だって、別に株主でもなんでもないですから!

という超どうでもいい伏線を張った上で、ですね・・・

大戸屋は、ことし2月にアルバイト従業員が不適切な動画をネットに投稿した問題をきっかけに利用客が減少し、この問題が発覚して以降、毎月の売り上げが前の年の同じ月を下回る状況が続いています。

う~ん・・・それって本当に因果関係あるのかい?

ここでさっきの超どうでもいい伏線が効いてくるわけですが、だいたいお家騒動とかで内部が揉めていると影響力の高い人達って指揮が落ちるんですよね。そういうのって割と現場にこういう形で影響が出たりするものなんですよ。ちゃんと調べたわけではないですが、この内部で揉めている間は離職率が高かったりしたのではないでしょうか。

あとそこにさらに上乗せで因果関係があるかどうかは分からないですが、つい最近大戸屋に食べに行った妻からの情報によるととっても不味かったらしいんですよ。大戸屋ってあの手のファミレスチェーンの中では一回り上に抜きん出ていた感じがあって、不味いという感想が出てくるなんて夢にも思わないわけです、価格帯的にも。

ただ、こちらに関しては上昇する人件費に対して、元から(競合のチェーン店から見ると)そこそこの高価格帯で展開していた関係上、人件費が上がったからといって単純にこれ以上価格を上げるとファミレスとしては高価になりすぎて客離れを起こしてしまうので価格転嫁したくてもできず、結果としてクオリティを下げることでしか維持することができなかった(でも不味くなったので最終的にはやっぱり維持できなかった)という可能性もおおいにありえます。というか、僕はむしろこっちの要因のほうが強いんじゃないかなーと思うわけです。じゃないとおおよそ不味いなんて感想が出てくるはずがないわけで。

いや、でもよくよく考えたら大戸屋よりもはるかに高い価格帯で営業しているチェーン店ありました。ロイヤルホストってのが。

結構岐路に立たされている感じはありますが、コロワイド傘下に入ってしまったのであれば規模と金にモノを言わせてジャンジャン増殖する可能性はありますね。フレッシュネスバーガーがそうであるように・・・。