何事にも適量というものは存在する

過ぎたるは猶及ばざるが如し。

昔の人はとてもいいことを言いますよね。僕はこういうの大好きなんですよ。

まあ、割と身近なところだとブラック労働なんてのはその最たるものかもしれませんが、意外とこういうところにもあるんですよね、というのが先程見かけたツイートです。

 こういう特定の集団なんかにも言える話で、これは要するに

ハラールに個別に対応することは現実的には無理なのに現場の努力でなんとかしている」

ということですよね。僕はこういうケースってのは対応しなくてもよいと思っています。だって、あなた、アメリカに行って向こうでクッソまずいラーメンが出てきた時に

「こんなのラーメンじゃないよ、ちゃんとした日本のラーメンを出せ」

って言いますか?言わないですよね。そういうのを郷に入っては郷に従えと言うのです。それは決してマイノリティーを無視しろという意味ではなく、そこまで配慮することができないから申し訳ないけれど今の形で我慢してねということなんですよ。

昨今、どうもマイノリティーの立ち位置を履き違えている人が多くなりすぎてきている気がするんですよね。ある集団において、その集団に負担にならない範囲でマイノリティーを抱えることに対しては誰も文句は言わないし、誰も何も言わないと思います。だけど、そのマイノリティーの存在が負担になるレベルのものであれば、それは負担にならないように母集団に従うか、さもなければ去るしかないでしょう。そこで無理に居座れば、待っているのは全滅です。先程引用したツイートでいうと、負担が続いた結果、給食そのものがなくなってしまったとなるパターンですね。日本人が大好きなやつです(笑)

分かりやすいところでいうと、先日の避難所における浮浪者の扱いなんかがいい例じゃないでしょうか。浮浪者なのでお世辞にもキレイじゃない、じゃあ彼らのための個別のスペースを用意できるかというとそれはできない。だとしたら、申し訳ないが浮浪者には去ってもらうしかないわけですよ。それをなんでもかんでも人権を持ち出して平等に扱わないといけない、というのはさすがにちょっと無理があります。まあ、あなたが勝手に保護するのは勝手ですが僕は負担になるのでイヤですw

このように「自分の負担にならないレベルで留めることを常に選択する」というのは割と重要なことでして、例えば僕の身近な話でいうと、親の介護が必要になったときにどうするかと言われると、僕は「自分の子供と親と両方を面倒見ることはできないので、将来のある子供の方を優先する」となるわけです。もし本当にその時が来たら僕はちゃんとそのように言いますし、僕がそういう考え方であることは母親はなんとなく知っています。

昔からよく言われますが、日本人は一人生き残るくらいなら全滅を選択するという民族らしいです。先程の例でいうと、親も子供も面倒を見て最終的に自分が倒れる(そして子供も路頭に迷う)みたいな感じですかね。そんなの美しくもなんともないので僕は一人でも生き残りますよ、ええ(笑)

大企業なんか見ているとその傾向がよく見えますよね・・・。