マッハ新書ならぬマッハブログ(と言う名の落書き)

ただのポエムです。マッハでそれなりの文章を書くのが目的(訓練)なので、よほどのひどい誤字脱字でない限り推敲しません。

今ごろどこで何をしていただろうか

帰省中もジョギングをしていて

帰り際、ふとこんな思いが巡った。そういえばそもそも僕はジョギングなんてする人間ではなかったような。思い返してみれば、実家にいたときなんてゲームやっているか寝転がっているか、パチンコ屋にいるかのいずれかだった。車社会だし、ど田舎なのも手伝って運動なんてものとは無縁の世界だった。そんな僕が実家に帰ってきたときにジョギングをしているなんて……なにがどうしてこんなふうになってしまったのだろうか。

今でこそ色んなことを知っているけれど、実家にいた頃の僕は無知もいいところだった。実家にはアジシオしか置いていなかったのであれが塩だと思っていたし、株式会社や有限会社なんて全く言葉の意味が分かっていなかった。

www.ajinomoto.co.jp

興味の範囲がとても狭くて、その範囲内のことはとても詳しいけれどそうじゃないことはとことん何も知らないみたいな典型的なオタクである。ちなみにテレビもほとんど見なかったので世間一般の話題とか芸能ネタなんかも全く分からなかった。

そして謎の転機が訪れる

以前にもFacebookあたりで書いたので詳細は省くが、テキトーな理由で新卒入社をした地元の会社を辞めて派遣社員(当時は業務請負の名目だったが違法)として三洋電機の安八事業所に行くことになった。

その三洋電機エプソンとの液晶事業合弁会社(三洋エプソンイメージングデバイス)となったあたりから状況が悪化していき、転職を決意してバッファロー(現メルコホールディングス)に内定をもらうも、あまりの暴言にお断りを入れて泥舟(笑)である三洋エプソンイメージングデバイスの正社員として残る道を選ぶことに。

ちょっとだけ閑話休題

今から考えてもすごい選択をしたなと思います、ええ(笑)。時効なのでもう書いてもいいと思いますが、当時の部署の庶務の人が好きだったのでそれもコミでの選択でした。現実には僕は松本本社に飛ばされたので会うことはなくなったわけですが。

バッファローの暴言があったのは事実ですが、今までこのことは一度も書いたことがないです。

それだけにとどまらず

その後、鳥取事業所へ異動になり、さらには海老名事業所にも異動になります。そこで配属された設計部署の課長がとんでもないクソ野郎で、こんなヤツと一緒に仕事できるかボケということで辞めることになりました。

あまりにも酷かったので本社にこのクソ野郎のハラスメントなんとかしてくれと言ってコテンパンに叩きのめした経緯があります(笑)。

なお、この報告は実は違う人がしたことになっているようですが実は僕です。あと2chに謎のスレッドを立てたのも僕ですwww

その話を同僚にしたら腹抱えて笑い転げられましたw Aさん元気ですか…

そしてベンチャー

そして伝説へ…みたいなノリですがそんな感じもします。ここらへんまでくるとかなり楽観的というか、多少のことでは動じないくらいには色んなことを経験し知識を吸収してきました。

元々、FPGA設計がやりたくて転職活動ではFPGA設計をやっているところを狙っていたのですが、当時の日本でそれを専門的にやっていたところはほとんどなく、唯一専門でやっていたフィックスターズにも行ったのですが、独学でやってきた僕には敷居が高過ぎて面談をパスできませんでした。

ちなみに一番最初はマクニカのグループ会社でFPGAを扱っているアルティマでした。あまり公にはされていませんが、マクニカの営業の人は人事権を持っていて、営業の人から推薦を受けるといきなり最終面接に行くことができます。僕もそれで面接に行ったのですが、FPGA設計はポジションがないとのことでお断りになってしまいました。

そんなこんなしているうちにアルプス電気から内定をもらいます…。余談ですがSPIテストは満点だった自信があるので、おそらくこれが採用の決定打だったんだろうなと思います。

が、勤務先は宮城県大崎市という仙台から1時間半くらいのところです。新幹線通勤できるか聞いたら交通費は自腹ですとのことで、色々と計算したらたいして給与が変わらなかったので悩んだ末に断ることに。エージェントからはものすごく念押しされました(そりゃそうだよね)が、キッパリと断ることに。

ちなみにアルプス電気FPGA設計の仕事でした

あ、あと給与の提示が残業代込みってのがどうしても引っかかったんですよ。三洋エプソンイメージングデバイスの時もそれで半分騙されたクチなので(笑)。

そのあとしばらくして現在の会社からビズリーチ経由でスカウトが届きます。最初見た時には書いてあることが理解できかったのですが、とりあえず話くらい聞いてみるかということで訪問することに。結局、話を聞いてみてもよく分からなかったわけですが、その分からない状態というものに飛び込むのがいつの間にか僕のスタイルになっていたようで、その日のうちに承諾して現在に至ります。

もしあのときのあれがなかったら

変化が多すぎてどれが現在の僕を作った決定打なのかは正直分かりません。ちなみに実は書いていないこともまだまだいっぱいあります。

単純に書ききれないだけです…

僕はずっと実家にいたんだろうか?

実家にいたとしたら今どんな仕事をしていたのだろうか?

結婚していたのか?子供たちはいたのか?

相変わらずスポーツカーを乗り回していたのか?

全てたらればの話なので、いまさら言ってみたところで何がどうなるわけでもないのですが、ジョギングの帰りにふとそんなことを考えてしまった次第です。